天の川の観測所


 「もうここらは白鳥区のおしまいです。
 ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です」

 窓の向こうに、光の川が流れていた。
 夜空に咲いた火の花のように、あまの川は輝き、静かにきらめいていた。

 その中心に、黒い建物が四つ、影のように浮かんでいる。
 ひとつの平たい屋根の上に、二つの宝石の球が、そっと輪を描いて回っていた。

 ひとつは青いサファイア。
 もうひとつは、黄色く透きとおるトパーズ。

 澄んだ光を宿す球は、ゆっくりと円を描いていた。
 トパーズが奥へと進み、サファイアは手前へと回ってくる。

 ふたつが近づき、やがて重なった。
 あわい緑色の、両面レンズのようなかたちが空に浮かぶ。

 緑は、中央にふくらみを増し、そこからまた、光の環がにじみ出る。
 やがてふたつの球はまた離れ、逆向きに動き始める。

 ひとまわりして、またもとの動きに戻ると、
 レンズのかたちは、そっと夜の川にとけて消えた。

 形もなく、音もない、銀河の水の中に、
 その黒い観測所は、まるで眠っているように、しずかに横たわっていた。

 「水の速さを測る装置です。水も……」
 鳥捕りが、ぽつりとつぶやいたとき、

 「切符を拝見いたします」

 赤い帽子の車掌が、いつの間にか横に立っていた。
 背が高く、静かなまなざしをしていた。

 鳥捕りは黙って、ポケットから紙片を出した。
 車掌はそれを一瞥して、すぐにジョバンニたちへと目を向けた。

 何かをたずねるように、片手を差し出す。

 「さあ……」
 ジョバンニは言葉に詰まり、肩をすくめた。

 カムパネルラは、ためらいもなく、小さな鼠色の切符を取り出した。
 ジョバンニはあわてて上着のポケットに手を入れる。

 そこに、見覚えのない紙切れがあった。
 四つ折りにされた、緑色の葉書ほどの大きさの紙。

 戸惑いながら、それを車掌に差し出す。

 車掌は、それをそっと開き、丁寧に目を通した。
 ボタンを直しながら、静かに読み続けていた。

 燈台の看守も、足元からそれをのぞいている。
 ジョバンニは、それが証明書のようなものだと思い、胸が熱くなった。

 「これは、三次空間の方からお持ちになったのですか?」

 「何だかわかりません」
 ジョバンニは、ほっとしたように、少し笑った。

 「よろしゅうございます。南十字へ着きますのは、次の第三時ころになります」

 車掌はそう言い、紙をジョバンニに返して去っていった。

 カムパネルラが、その紙をのぞき込んできた。
 ジョバンニも、すぐに中を見たかった。

 黒い唐草模様におおわれた紙の中央に、
 不思議な文字が十ほど並んでいた。

 見つめていると、模様の奥へ吸い込まれていきそうだった。

 そのとき、鳥捕りがちらりと見て、驚いたように言った。

 「おや、こいつは大したもんですぜ。
 天上どころか、どこへでも行ける切符です。
 幻想第四次なんて目じゃない。
 これはまるきり通行証ですな」

 「何だかわかりません」
 ジョバンニは顔を赤らめ、紙をまた畳んで懐にしまった。

 気まずさをまぎらわせるように、ふたりで窓の外を眺めた。

 鳥捕りは、時おりこちらを見て、微笑んでいた。

 「もうすぐ鷲の停車場だよ」
 カムパネルラが、地図と三角標を見比べながらつぶやいた。

 ジョバンニの心に、鳥捕りの姿がふと浮かぶ。

 鷺をつかまえてうれしそうに笑い、
 白い布できれいに包み、
 切符を見て驚き、すぐに褒めてくれた。

 そんな彼のしぐさを思い返すと、なにかしてあげたくなった。

 自分の持っているものでも、食べ物でも、すべて差し出してもいいと思えた。
 あの人の本当の幸いになるのなら、
 天の川の岸に立って百年鳥をとり続けても構わないとさえ思った。

 言葉にせずにはいられなかった。
 「ほんとうに、あなたのほしいものは、なんですか」

 そう問おうとして、ふとふり返る。

 鳥捕りの姿は、そこにはなかった。
 網棚の上にも、白い荷物は見えなかった。

 窓の外を見ても、ただ砂子と白いすすきの波が続いていた。

 「あの人、どこへ行ったろう」
 カムパネルラも、ぼんやりとつぶやく。

 「どこでまた会えるのだろう」
 ジョバンニは、自分の気持ちに気づく。

 「あの人が、邪魔なように思えた。
 だから、僕はつらい」

 こんな気持ちは初めてだった。
 こんなことを言ったのも、初めてだった。

 「僕もそう思ってる」
 カムパネルラの声は、やさしかった。

 「林檎の匂いがする。考えていたからかな」
 カムパネルラが不思議そうに周囲を見まわす。

 「ほんとうに林檎の匂いがする。
 それに、野茨の香りも」

 ジョバンニも、首をかしげながら窓の方を見た。

 秋なのに、野茨の花は咲いていないはずだ――
 そう思ったときだった。

 そこに突然、少年が立っていた。

 つやつやした黒髪。
 六つくらいの年。
 赤いジャケットのボタンも留めず、はだしで震えていた。

 その隣に、青年がいた。
 黒い洋服をきちんと着こなし、けやきの木のようにまっすぐ立っていた。

 その手は、少年の手をしっかりと握っていた。


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