――お茶目。
自分は、いわゆる「お茶目」に見られることに、見事、成功しました。
尊敬されることから、そっと、のがれることにも――成功しました。
通信簿は、全学科とも十点――けれども、「操行」だけは七点だったり、六点だったりして、
それがまた、家じゅうの笑い種となりました。
しかし――自分の本当の姿は、
そんな「お茶目さん」とは、およそ正反対のものだったのです。
そのころ、もうすでに、
自分は女中や下男たちから、哀しいことを教えられ、
そして――犯されていました。
幼い者に向かって、ああしたことをするのは、
人間のしうる悪の中で、もっとも醜く、もっとも下劣で、
そして――もっとも冷酷なものだと、
自分はいまでは、そう信じています。
けれども、そのときの自分は、
――だまって、忍びました。
またひとつ、人間の本性を見たような気がして、
そうして、――ちからなく笑っていました。
本当のことを話す習慣さえあれば、
もしかしたら、悪びれずに、それを父や母に訴えることができたのかも知れません。
けれども、自分は――父も、母も、全部を理解することができなかった。
人間に訴えるという手段には、まるで、希望が持てなかったのです。
父に言っても、母に言っても、お巡りに言っても、政府に訴えても――
どうせ最後は、世渡りに長けた人間の、
世間に通りのいい言い分に――打ち負かされて終わりではないか。
――必ず片手落ちのあることは、最初から、わかりきっている。
自分は、何も言わず、ただ忍んで、
そしてまた、道化を演じつづけるしかない――
そんな気持でいたのです。
――なんだ、人間への不信を語っているのか? へえ?
いつからお前はクリスチャンになったんだい?――と、
あざ笑う人もいるかもしれません。
けれども、自分には、こう思えるのです。
人間への不信が、すぐさま宗教へと通じる――とは、限らない。
むしろ、そのあざ笑う人たちさえ、
人間不信のただ中で、何の神も持たずに――平気で生きているのではありませんか。
あれは、自分がまだ幼い頃でした。
父の属していた政党の、れいの有名人が町に来て、演説をするというので、
自分は、下男に連れられて劇場へ行きました。
会場は満員で、父と親しい人々の顔も、ちらほらと見え、
皆、拍手などして、よろこんでいる様子でした。
けれども、演説が終わって雪の夜道を帰る途中――
聴衆たちは三々五々かたまって、今夜の演説会を口々に――こき下ろしているのです。
「何が何やら、さっぱり分からん」
「父の開会の辞もひどい。あの演説家も、まるで見当ちがいだ」――
そう怒声に似た調子で言っていたのは、
ほかならぬ、父と親しい「同志たち」だったのです。
それでいて、家に立ち寄ると、客間に上り込み、
父に向かっては、「今夜は大成功でしたね」と、満面の笑みで言うのです。
下男たちもまた、母に「とても面白かったです」と言ってけろりとしている。
その同じ下男たちが、帰り道には――
「演説会ほど退屈なものはない」と、顔をしかめて、ため息をついていたというのに。
けれども、こんなのは、ほんの、ささやかな一例にすぎません。
人間たちは――互いにあざむき合いながら、しかも、いずれも何の傷も受けず、
それどころか、あざむき合っている事実さえ、少しも気づかない風で、
実に見事に、あざやかに、それこそ、「清く明るくほがらかに」、
不信のなかを生きているように、自分には見えるのです。
けれども、自分は――あざむき合っているということ、それそのものには、
あまり興味が持てません。
自分だって、朝から晩まで、お道化という手段で、人間をあざむいている。
つまりは、自分も同罪。
それなのに、いわゆる修身教科書的な「正義」だとか「道徳」だとかには、
どうしても、関心が持てないのです。
自分が、難解に感じるのは、
あざむき合っていながらも、どこか澄まして、まるで当然のように、
清く、明るく、朗らかに生きている――
もしくは、そう生き得るという自信を持っているみたいな人間のことです。
自分には、その「秘訣」が、どうしてもわからなかった。
人間は、けっきょく、自分に、その妙諦を教えてはくれなかった。
それさえ分かっていれば――
自分は、人間というものを、こんなに恐れなくてもすんだのでしょう。
必死のサーヴィスなどしなくても、すんだのでしょう。
人間の生活に背を向けて、夜ごとの地獄の苦しみに身を焦がすようなことも、無かったかも知れない。
つまり、自分が――あの、下男下女たちの憎むべき犯罪をさえ、
誰にも訴えることができなかったのは、
人間への不信のためではなく、またもちろん、キリスト教の教えのせいでもなく、
それは、ただ――
人間たちのほうが、自分という葉蔵に対して、
固く、その「信用」の殻を閉ざしていたからなのではないかと、
そんなふうにも思うのです。
あの父でさえ。あの母でさえ。
ときおり、まるで他人のような、理解できぬ顔を、自分に向けることがあったのです。
――そして、その、誰にも訴えず、ただ黙っている「孤独の匂い」が、
きっと、多くの女性たちに、本能で嗅ぎ当てられ、
後年、さまざまなかたちで、自分が「つけこまれる」誘因のひとつになったのではないか、
そんな気もするのです。
――つまり、自分は、女性にとって、
「恋の秘密」を、守れる男だった――というわけなのでした。