第三の手記 12


 「いいかい? 煙草は?」

 と自分は、首を傾けてたずねました。

 「トラ。」

 と堀木は、即座に答えました。悲劇――トラジディの略です。

 「薬は?」

 「粉か? 丸薬か?」

 「注射。」

 「トラ。」

 「そうかな。ホルモン注射なんてものも、あるじゃないか。」

 「いや、断然トラだ。針がまずい。お前、それだけで立派なトラだよ。」

 「よし、負けておこう。だがね君、薬も医者も案外、コメなんだぜ。」

 「では、死は?」

 「コメ。牧師も和尚も、みんなそうさ。」

 「大出来。――すると、生はトラか?」

 「ちがう。それも、コメ。」

 「いや、それでは、すべてがコメになってしまう。では、もう一つ。漫画家は? よもや、それまでコメとは言えまい。」

 「トラ、トラ。大悲劇名詞。」

 「なんだい。大トラは、君のほうだよ。」

 こんな下手な駄洒落になってしまっては、つまらない。

 けれども、自分たちは得意でした。これを、世界のどんなサロンにもなかった、きわめて気のきいた遊戯だと思い込んでいたのです。

 もうひとつ、似たような遊戯がありました。これは、自分が考案したものでした。

 アントニム――対義語当てです。

 黒のアントは、白。しかし、白のアントは赤。赤のアントは黒。

 「花のアントは?」

 と、自分が訊ねます。

 堀木は口を曲げ、しばらく考えました。

 「ええっと、花月という料理屋があったから、月。」

 「それはアントにならない。むしろ、シノニム。星と菫も、同義語だ。アントじゃない。」

 「わかった。蜂。」

 「蜂?」

 「牡丹に……蟻か?」

 「それは画題だ。ごまかすな。」

 「じゃあ、花にむら雲――」

 「それは月だろう。」

 「そう、そう。じゃあ、花に風。風だ。アントは風。」

 「まずいな。それは浪花節の文句だ。お里が知れるよ。」

 「いや、琵琶。」

 「なお悪い。花のアントはね、この世でいちばん花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ。」

 「だから、その……待てよ。なあんだ、女か。」

 「では、ついでに。女のシノニムは?」

 「臓物。」

 「君は詩を知らん。――臓物のアントは?」

 「牛乳。」

 「これは、ちょっとうまい。その調子でもう一つ。恥。――恥のアントは?」

 「恥知らず。流行漫画家、上司幾太。」

 「では、堀木正雄は?」

 このあたりから、ふたりとも笑えなくなってきました。

 焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に散らばるような感覚。陰鬱な気分が、ふわりと立ちのぼって来たのです。

 「生意気言うな。おれはまだ、お前のように縄目の恥辱など受けたことはない。」

 ぎょっとしました。

 堀木は、心の中で、自分を人間扱いしていなかったのです。自分を、ただの死にぞこない。恥知らずの阿呆。化物。つまり「生ける屍」としか見なしていなかった。

 そして、彼の快楽のために利用できる部分だけを利用する。それっきりの「交友」だったのだ。

 そう思うと、さすがに気持のよいものではありませんでした。

 けれどもまた、堀木がそのように自分を見ていたのも、無理はなかったのかも知れません。

 自分は昔から、人間の資格のないような子供でした。やっぱり、堀木にさえ軽蔑されて当然だったのかも知れない。

 そう考え直して、

 「罪。――罪のアントは、何だろう。これはむずかしいぞ。」

 と、努めて何気ない顔で言いました。

 「法律さ。」


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