迷宮と翼


 クレタ島という、青い海にかこまれた美しい島に、一人の男が住んでいました。

 名前はダイダロス。とても頭がよく、どんなものでも作ることができる発明家です。

 ある日、島の王さま――ミノス王がダイダロスをおよびになりました。

「ダイダロスよ。おまえの知恵で、とてつもなくふくざつな建物を作ってほしい」

「どのような建物を、お望みですか?」

 ダイダロスがたずねると、ミノス王は小さな声でこたえました。

「中に“ある者”を閉じこめるための、出ることもできぬ迷宮だ」

 “ある者”とは、ミノタウロス。

 体は人間、顔は牛。とてもおそろしく、だれも近づくことができません。

 そのミノタウロスを、この迷宮――ラビュリントスに閉じこめるというのです。

「かしこまりました」

 ダイダロスは小さくうなずき、すぐに工事にとりかかりました。

 何ヶ月もかけて、ぐるぐると道がまがり、どこが入口でどこが出口かも分からないような巨大な迷宮が完成しました。

 誰かが中に入れば、二度と出てこられない――そんな場所です。

 王は大よろこびでした。

 しかし、それからしばらくして、ダイダロスのようすが少しずつおかしくなっていきました。

 王さまの機嫌をうかがうようになり、だれとも話さず、何かにおびえているように見えたのです。

 そんな父を、イカロスはいつも心配していました。

 イカロスはダイダロスの息子で、まだ少年です。けれど目はかがやき、未来に夢をいだいていました。

「父さん、きょうの空もきれいだよ」

「……ああ、そうだな」

 屋敷の小さな窓から、父と見上げた空はどこまでも青く、鳥たちが自由にとんでいました。

「ぼくも、あんなふうに空をとべたらなあ」

 イカロスが笑っていうと、ダイダロスは一瞬だけほほえみました。

「おまえは、空をとびたいのか?」

「うん。どこまでも、とべたらいいなって思う」

 そのときはまだ、イカロスも知らなかったのです。

 父が王の秘密を知りすぎたせいで、ふたりがこの屋敷から出られなくなってしまっていたことを――。

   *

「父さん……外に出られないの、いつまでなの?」

「しばらく、我慢するしかない」

 それが何日続いたでしょうか。

 屋敷にはかぎがかけられ、兵士が見はっていました。ふたりは実質、閉じこめられていたのです。

 けれどイカロスは、ただじっとしている子ではありません。

 部屋のすみで、小さな鳥がつばさをふるわせているのを見つけました。

 どうやら、窓からはいってきたようです。

 イカロスはそっと鳥をつかまえると、ほこりを払って外ににがしてやりました。

 鳥は、ふわっと宙に浮かび、自由に羽ばたいて空へ消えていきます。

「……いいな」

 イカロスは、いつも同じことを思います。

 あんなふうに、とびたい。ここから出たい。空のむこうへ――。

   *

 ダイダロスは、そんなイカロスのようすを見て、心を決めました。

 ある日、彼は部屋のすみに羽根をならべ、なにかを作りはじめました。

「これは……父さん、なにしてるの?」

「鳥の羽根と、木の骨をつかって、翼をつくっている」

「翼?」

 ダイダロスは、うなずきながら言いました。

「人が空をとぶための道具だ」

 イカロスは目をまるくしました。

「とべるの? そんなの、ほんとうに?」

 父は、まっすぐイカロスを見ました。

「おまえが本気なら、とべる」

 イカロスの胸が高鳴ります。

 空をとぶ――それは夢の中だけでしか思いえがけなかったことでした。

 けれど父は、その夢を現実にしようとしている。

 ダイダロスは、夜ごと羽根をあつめ、ひとつひとつをろうでつなぎました。

 とても根気のいる作業でしたが、父はけっして手を止めませんでした。

「とんでもいい、ってこと?」

「いつか、外へ出るチャンスがきたらな」

 父の声は静かでしたが、どこかに希望がありました。

 それは、長いあいだ閉じこめられていた親子にとって、ようやく見えた“道”でした。

   *

 ある日、兵士たちのすきまをぬって、ふたりは海ぎわまで出ることに成功します。

 ふたりとも、背中には父の作った翼をしょっていました。

 風はあたたかく、空はどこまでも青い。

 イカロスは、父をふりかえります。

「とべるかな」

「大丈夫だ。風を読め。太陽に近づきすぎるな。海に近すぎてもいけない」

 イカロスは、うなずきました。

 このとき、少年の胸にはふたつの思いがありました。

 ひとつは、外の世界に出られるうれしさ。

 もうひとつは、空をとべるという高ぶる気持ち。

 父が言ったことを、ちゃんと守れるだろうか。

 でも、いまはそれより――

「空だ……!」

 イカロスは、風をつかみました。

 翼がふくらみ、足が地面をはなれたのです。

 次の瞬間、ふたりの影は空へ――まるで鳥のように、はばたき始めました。


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