淫売婦というものが、自分には、どうしても人間に見えなかった。
女でもなかった。
白痴のように。
あるいは、発狂した生きもののようにしか見えなかった。
けれども、その懐の中では、かえって、まったく安んじることができました。
何の不安もなく、ぐっすりと、眠ることができたのです。
あれは、夢のような、静かな夜でした。
みんな、哀しいほどに、みじんも、慾というものが無い。
その眼も、手つきも、言葉さえも。
だからでしょうか。
自分には、妙な親和感――
いや、「同類の慰め」とでも申しましょうか。
そのような心のゆらぎが、ふっと生まれることがありました。
淫売婦たちは、自分に、窮屈でない程度の、自然な好意を示しました。
打算のない、押し売りでもない、
二度と来ないかもしれぬ客への、儚い好意。
自分は、ある夜、確かに彼女たちの上に、
マリヤの円光を、見ました。
現実に。
目をひらいて。
けれども――
けれども、それは、やはり一夜の逃避でした。
人間というものへの恐怖。
その逃避の場として、自分は、淫売婦の世界を選び、
彼女たちと、いわば「同類」として遊んでいたのです。
ところが、いつのまにやら、自分の身辺に、
忌まわしいものが、ただようようになっていた。
それは、まったく自覚のない、あるいは、まったく思いも寄らなかった、
所謂「おまけの附録」でした。
堀木に指摘されて、自分は、
愕然としました。
そして、吐き気を催すような不快を、覚えました。
俗な言い方をすれば――
自分は、淫売婦によって、女の修行をしていたらしいのです。
しかも、最近はめっきり、腕をあげてきたというのです。
淫売婦というものは、女の修行において、最も厳しい師匠であり、
また、それだけに、最も手早く成果が上がるのだそうで、
自分の身からは、既に「女達者」の匂いが立っている。
そして、女――
淫売婦に限らず、すべての女たちが、
本能によって、その匂いを嗅ぎ当て、
寄り添って来るのだと。
それが、自分にまとわりついた、卑猥で、不名誉な、空気。
それが、いつしか、自分の求めていた「休養」よりも、はるかに目立ってしまっている。
そういうふうに、なっていたらしいのです。
堀木は、それを半ば冗談、半ばお世辞のつもりで言ったのでしょう。
しかし、自分には、
重く、思い当たることがありました。
たとえば。
喫茶店の女から、稚拙な手紙をもらった事がありました。
桜木町の将軍の娘が、毎朝、登校の時刻になると、
意味もなく、家の門を、うす化粧で出たり入ったりしていた事もありました。
牛肉を食べに行ったときの、女中の視線。
いつもの煙草屋の娘が、手渡した箱の中の――
歌舞伎座の隣席。
深夜の市電で、自分が眠っていた時の――
故郷の親戚の娘からの、思いつめたような手紙。
誰とも知らぬ娘が、自分の留守中に置いていった、人形。
自分が、あまりに消極的であるがゆえに、
すべてが、それきり。
ただの断片。
それ以上に進むことは、一つとしてありませんでしたが、
それでも、自分に、
女に夢を見させるような雰囲気があること――
それは、のろけでも、冗談でもなく、否定できない事実だったのです。
それを、あの堀木ごときに、指摘されたという事。
自分には、それが、
屈辱に似た、ひどく苦い、沈黙のようなものとなって、
胸に、ずしりと、残りました。
それ以来、淫売婦と遊ぶことにも、
なぜか、
急に、興が覚めてしまったのでした。
堀木は、また、自分を連れ出しました。
あの見栄坊のモダニティからです。
それ以外に理由は、今もって考えつきません。
ある日、自分を連れて行ったのは、共産主義の読書会と称するもの。
R・Sとか言っていた気もしますが、記憶はあやふやです。
秘密の研究会でした。
堀木などにとって、それも、例の「東京案内」のひとつにすぎなかったのかも知れません。
自分は、いわゆる「同志」に紹介されました。
パンフレットを一部、買わされました。
そうして、上座にいた、ひどく醜い顔の青年から、
マルクス経済学の講義を受けました。
しかし、自分には、それが当然のことに思われました。
それは、それで間違いはないのだろう。
けれども――
人間の心には、もっと、わけのわからぬものがある。
おそろしいものが、あるのです。
慾、という言葉では言い足りません。
ヴァニティ、というのも、足りません。
色と慾、並べてみても、まだ足りません。
何かわからない。
人間の世の底には、経済では割り切れぬ、
どこか怪談じみたものがある気がして、
自分は、その怪談におびえ切っていました。
所謂唯物論は、自然に肯定できました。
水が低きに流れるように。
けれども、それによって人間への恐怖が消えたりはしません。
青葉を見て、眼をひらき、希望のよろこびを感じる。
そんな変化は、自分には訪れませんでした。
けれども、自分は一度も欠席しませんでした。
その研究会、R・Sと呼ばれていた会合に。
毎回、出席しました。
同志たちは、硬い顔をして、
一プラス一は二、といった理論を、
まるで一大事のように話し合っていました。
それが可笑しくてなりませんでした。
自分は、例の道化を演じました。
会合をくつろがせました。
次第に、その窮屈な気配もほぐれてきました。
自分は、そこに不可欠な人気者のように見られるようになりました。
この単純な人たちは、自分を仲間と思っていたかも知れません。
同じように単純で、楽天的な、おどけ者の「同志」と。
けれども、それが真実なら、自分は彼らをだましていたのです。
一から十まで、まるごと。
自分は、同志ではありませんでした。
けれども、会合に毎回出席して、
おどけのサービスを続けました。
なぜなら――好きだったからです。
その人たちが、気にいっていたからです。
ただし、それはマルクスによる親愛感ではありませんでした。
「非合法」
その言葉に、どこか幽かな楽しさを感じていました。
むしろ、居心地がよかったのです。
世の中の「合法」というもののほうが、自分にはおそろしかった。
そこには、底知れぬ強さが予感されました。
そのからくりが不可解で、どうにもならなかったのです。
窓のない、底冷えのする部屋に坐っているよりは、
外の「非合法」の海に飛び込むほうがましでした。
たとえ、やがて死にいたるとしても、
そのほうが気楽に思われたのです。