日蔭者という言葉があります。
人間の世に於いて、みじめな敗者、あるいは悪徳者を、指差して言う語のようですが――
自分は、まるで、生れたときからの、日蔭者であるような気がしておりました。
ですから、世間から「日蔭者だ」と指を差されるような人に逢うと、
自分は、きまって優しい心になるのです。
そうして、そのときの自分の優しさというのは、
自分でうっとりするくらい、優しいのでした。
また、犯人意識、という言葉もあります。
自分は、この人間の世に於いて、一生その意識に悩まされていました。
けれども、それは、まるで糟糠の妻のような伴侶で、
自分はそいつと、ひっそり、寂しく遊んでいたのかも知れません。
俗に「脛に傷持つ身」と言うそうですが、
自分のその傷は、生れたときから、自然と片方の脛にありました。
それは、年を重ねるごとに深くなり、骨にまで達しました。
夜ごとの痛みは、たしかに地獄でしたが――
不思議と、その傷が、血や肉よりも親しいものになっていったのです。
その痛みは、愛情のささやきのようにすら思われるようになりました。
だからこそ、れいの地下運動の空気が、
へんに、安心で、心地よかったのです。
目的よりも、その運動の「肌ざわり」が、
自分には、ちょうどよく感じられたのでした。
堀木は、ただの阿呆で、
冷やかしに一度会合へ来て、それきりでした。
「マルキシストは消費面の視察も必要だ」などと、
下手な洒落を言って、あとは自分をそちらにばかり誘いました。
あの頃は、実にいろいろな型のマルキシストがいました。
堀木のように、虚栄とモダニティから名乗る者もあり。
自分のように、非合法の匂いが好きで、ただそこに坐っているだけの者もいました。
もし、その実体を本当の信奉者に見破られていたら、
堀木も自分も、すぐさま怒鳴られて、追い払われた事でしょう。
けれど、現実には、自分も、堀木でさえも、
なかなか除名されませんでした。
むしろ自分は、合法の紳士の世界よりも、
非合法のあの界隈でこそ、のびのびと「健康」に振舞えたのです。
見込みのある「同志」として、
たいそう秘密めかした用事を、いろいろ頼まれました。
実際、自分はその用事を、一度も断りませんでした。
犬(彼等は警察をこう呼びました)にも怪しまれず、
不審訊問を受けるような失敗もなく、
笑いながら、あるいは笑わせながら、
あの「危ない」と呼ばれる仕事を、きっちりやっていました。
その仕事というのは、実際には拍子抜けするほどつまらないものでしたが、
彼等は、さも一大事のように、極度の緊張で臨んでいました。
自分は、たとえ捕まって、終身刑になっても、かまわないと思っていたのです。
実生活の恐怖と、毎夜の不眠の地獄に喘ぐくらいなら、
牢屋のほうが、よほど楽だとさえ、考えておりました。
父は、桜木町の別荘で、来客や外出に忙しく、
同じ屋根の下にいても、三日四日、顔を合わせることもありませんでした。
しかし、父は、自分には、おそろしくて仕方がありませんでした。
この家を出て、どこか下宿でも、と考えつつ、
言い出せずにいたある日、別荘番の老爺から聞いたのです。
父が、その家を売払うつもりらしい、と。
議員の任期も終わりかけ、選挙に出る気もなく、
故郷に隠居所まで建てたという話でした。
高等学校の一生徒にすぎない自分のために、
邸宅と召使いを提供しておくのも、むだに思ったのでしょうか。
ともかく、その家は間もなく人手に渡り、
自分は、本郷森川町の仙遊館という、古びた下宿に移りました。
そして、たちまち金に困りました。
それまでは父から毎月定額の小遣いをもらい、
それが二、三日で無くなっても、酒も煙草も、いつも家にありました。
本や服飾品も、すべてツケで済みました。
堀木に蕎麦や天丼を奢っても、黙って店を出てもよかったのです。
それが一変しました。
下宿のひとり暮らしでは、
何もかも、月々の送金だけで間に合わせねばならず、
自分は、まごつきました。
送金は、やはりすぐに底をつきました。
自分は、慄然とし、心細さに狂いかけました。
父、兄、姉に向けて、交互に電報や手紙を出しました。
事情を訴える手紙は、どれもこれも、お道化た嘘でした。
人に頼むときには、まず笑わせるのが良いと、
そう思っていたのです。
それでも足りず、堀木に教えられて、
せっせと質屋に通いました。
けれど、つねに金には困っていました。
所詮、自分には、縁もゆかりもない下宿で、
ひとりで生活をする能力が、無かったのです。
部屋でじっとしていると、誰かに襲われるような錯覚が起きました。
街へ飛び出しては、運動の手伝いをし、
堀木と安い酒を飲み廻りました。
学業も画の勉強も放棄しました。
そして、高等学校二年目の十一月――
年上の有夫の婦人と情死事件を起こし、
自分の身の上は、一変しました。
学校は休みがち、勉強も一切しない。
けれど試験では、なぜか要領の良い答案が書けていました。
どうにか故郷の家族を欺いてきましたが、
出席日数不足などから、内々に父へ報告がいったらしく、
兄からの長い手紙が届くようになりました。
けれど、自分の苦痛は、
そんなことでなく、金がないことと、
あの運動の用事が急激に増えていったことでした。
本郷、小石川、下谷、神田、あの一帯の学校全部を統べる、
行動隊長、などというものになっていたのです。
蜂起という語を聞き、小さなナイフを買いました。
それをポケットに入れ、あちこち走り回り、
聯絡をつけるのです。
お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい。
しかし、お金がない。
P(党のことを、そう呼んでいたと記憶しています)からは、
次々に用事がきました。
自分の病弱な身体では、もう勤まりませんでした。
もともと、非合法の匂いが好きなだけで、
本気でやるつもりなど無かったのです。
なのに、こんなにも多忙になり、
自分は、ひそかに思いました。
それは、お門違いではありませんか。
あなた方の直系の人たちにやらせたらどうです、と。
そして、自分は、逃げました。
逃げて、いい気持ちはせず、
死ぬことにしました。