第二の手記 8


 日蔭者という言葉があります。
 人間の世に於いて、みじめな敗者、あるいは悪徳者を、指差して言う語のようですが――
 自分は、まるで、生れたときからの、日蔭者であるような気がしておりました。
 ですから、世間から「日蔭者だ」と指を差されるような人に逢うと、
 自分は、きまって優しい心になるのです。
 そうして、そのときの自分の優しさというのは、
 自分でうっとりするくらい、優しいのでした。

 また、犯人意識、という言葉もあります。
 自分は、この人間の世に於いて、一生その意識に悩まされていました。
 けれども、それは、まるで糟糠の妻のような伴侶で、
 自分はそいつと、ひっそり、寂しく遊んでいたのかも知れません。

 俗に「脛に傷持つ身」と言うそうですが、
 自分のその傷は、生れたときから、自然と片方の脛にありました。
 それは、年を重ねるごとに深くなり、骨にまで達しました。
 夜ごとの痛みは、たしかに地獄でしたが――
 不思議と、その傷が、血や肉よりも親しいものになっていったのです。
 その痛みは、愛情のささやきのようにすら思われるようになりました。

 だからこそ、れいの地下運動の空気が、
 へんに、安心で、心地よかったのです。
 目的よりも、その運動の「肌ざわり」が、
 自分には、ちょうどよく感じられたのでした。

 堀木は、ただの阿呆で、
 冷やかしに一度会合へ来て、それきりでした。
 「マルキシストは消費面の視察も必要だ」などと、
 下手な洒落を言って、あとは自分をそちらにばかり誘いました。

 あの頃は、実にいろいろな型のマルキシストがいました。
 堀木のように、虚栄とモダニティから名乗る者もあり。
 自分のように、非合法の匂いが好きで、ただそこに坐っているだけの者もいました。
 もし、その実体を本当の信奉者に見破られていたら、
 堀木も自分も、すぐさま怒鳴られて、追い払われた事でしょう。
 けれど、現実には、自分も、堀木でさえも、
 なかなか除名されませんでした。
 むしろ自分は、合法の紳士の世界よりも、
 非合法のあの界隈でこそ、のびのびと「健康」に振舞えたのです。
 見込みのある「同志」として、
 たいそう秘密めかした用事を、いろいろ頼まれました。
 実際、自分はその用事を、一度も断りませんでした。
 犬(彼等は警察をこう呼びました)にも怪しまれず、
 不審訊問を受けるような失敗もなく、
 笑いながら、あるいは笑わせながら、
 あの「危ない」と呼ばれる仕事を、きっちりやっていました。

 その仕事というのは、実際には拍子抜けするほどつまらないものでしたが、
 彼等は、さも一大事のように、極度の緊張で臨んでいました。
 自分は、たとえ捕まって、終身刑になっても、かまわないと思っていたのです。
 実生活の恐怖と、毎夜の不眠の地獄に喘ぐくらいなら、
 牢屋のほうが、よほど楽だとさえ、考えておりました。

 父は、桜木町の別荘で、来客や外出に忙しく、
 同じ屋根の下にいても、三日四日、顔を合わせることもありませんでした。
 しかし、父は、自分には、おそろしくて仕方がありませんでした。
 この家を出て、どこか下宿でも、と考えつつ、
 言い出せずにいたある日、別荘番の老爺から聞いたのです。
 父が、その家を売払うつもりらしい、と。

 議員の任期も終わりかけ、選挙に出る気もなく、
 故郷に隠居所まで建てたという話でした。
 高等学校の一生徒にすぎない自分のために、
 邸宅と召使いを提供しておくのも、むだに思ったのでしょうか。
 ともかく、その家は間もなく人手に渡り、
 自分は、本郷森川町の仙遊館という、古びた下宿に移りました。

 そして、たちまち金に困りました。
 それまでは父から毎月定額の小遣いをもらい、
 それが二、三日で無くなっても、酒も煙草も、いつも家にありました。
 本や服飾品も、すべてツケで済みました。
 堀木に蕎麦や天丼を奢っても、黙って店を出てもよかったのです。

 それが一変しました。
 下宿のひとり暮らしでは、
 何もかも、月々の送金だけで間に合わせねばならず、
 自分は、まごつきました。
 送金は、やはりすぐに底をつきました。
 自分は、慄然とし、心細さに狂いかけました。

 父、兄、姉に向けて、交互に電報や手紙を出しました。
 事情を訴える手紙は、どれもこれも、お道化た嘘でした。
 人に頼むときには、まず笑わせるのが良いと、
 そう思っていたのです。
 それでも足りず、堀木に教えられて、
 せっせと質屋に通いました。
 けれど、つねに金には困っていました。
 所詮、自分には、縁もゆかりもない下宿で、
 ひとりで生活をする能力が、無かったのです。

 部屋でじっとしていると、誰かに襲われるような錯覚が起きました。
 街へ飛び出しては、運動の手伝いをし、
 堀木と安い酒を飲み廻りました。
 学業も画の勉強も放棄しました。

 そして、高等学校二年目の十一月――
 年上の有夫の婦人と情死事件を起こし、
 自分の身の上は、一変しました。

 学校は休みがち、勉強も一切しない。
 けれど試験では、なぜか要領の良い答案が書けていました。
 どうにか故郷の家族を欺いてきましたが、
 出席日数不足などから、内々に父へ報告がいったらしく、
 兄からの長い手紙が届くようになりました。

 けれど、自分の苦痛は、
 そんなことでなく、金がないことと、
 あの運動の用事が急激に増えていったことでした。
 本郷、小石川、下谷、神田、あの一帯の学校全部を統べる、
 行動隊長、などというものになっていたのです。
 蜂起という語を聞き、小さなナイフを買いました。
 それをポケットに入れ、あちこち走り回り、
 聯絡をつけるのです。

 お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい。
 しかし、お金がない。
 P(党のことを、そう呼んでいたと記憶しています)からは、
 次々に用事がきました。
 自分の病弱な身体では、もう勤まりませんでした。

 もともと、非合法の匂いが好きなだけで、
 本気でやるつもりなど無かったのです。
 なのに、こんなにも多忙になり、
 自分は、ひそかに思いました。

 それは、お門違いではありませんか。
 あなた方の直系の人たちにやらせたらどうです、と。

 そして、自分は、逃げました。
 逃げて、いい気持ちはせず、
 死ぬことにしました。


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