第二の手記 13


 けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来てはいなかったのです。
 どこかに、遊び心がひそんでいました。

 その日の午前、二人は浅草の六区を彷徨い歩いていました。
 喫茶店に入り、牛乳を飲みました。

「あなた、払っておいて」

 自分は立ち上がり、袂からがま口を取り出して開くと、銅銭が三枚だけ。
 羞恥というよりも、むしろ凄惨な思いが胸を襲い、脳裡に浮かぶのは仙遊館の自分の部屋のこと。

 制服と蒲団だけが残されている荒涼とした部屋。
 他には、質草になりそうなものなど何もなく、今着て歩いている絣の着物とマントだけ。
 これが自分の現実なのだ、と。
 はっきりと、生きてゆけないのだと知りました。

 自分がまごついていると、女も立ち上がり、自分のがま口をのぞき込んで、

「あら、たったそれだけ?」

 無心な声でしたが、これが骨身に沁みて痛かったのです。
 はじめて、自分が恋した人の声だけに、痛かった。

 銅銭三枚――それはお金ではありませんでした。
 それは、自分がかつて味わったことのない奇妙な屈辱であり、あまりに生きていられないほどの屈辱でした。

 所詮、まだその頃の自分は、金持ちの坊ちゃんという種族から抜け出せていなかったのでしょう。

 その時、自分は、すすんで死のうと、初めて実感として決意したのです。

 その夜、自分たちは鎌倉の海へ飛び込みました。

 女は、「この帯はお店のお友達から借りている帯だから」と言い、帯をほどいて畳み、岩の上に置きました。
 自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水しました。

 女は死にました。
 そうして、自分だけが助かりました。

 自分は高等学校の生徒でした。父の名にも、いくらかニュース・バリューがあったのでしょう。新聞には、かなり大きな問題として取り上げられたようでした。

 自分は海辺の病院に収容されました。故郷から親戚が一人、駆けつけてくれました。いろいろな始末をつけてくれて。

 くにの父をはじめ、一家中が激怒している。これで生家とは義絶になるかもしれぬ、と自分に告げて帰りました。

 けれども、自分はそんなことより、死んだツネ子が恋しくて、めそめそ泣いてばかりいました。

 あの貧乏くさいツネ子だけを、本当に好きだったのですから。

 下宿の娘からは、短歌を五十も綴った長い手紙が届きました。「生きくれよ」というへんな言葉で始まる短歌ばかりが、五十ありました。

 また、自分の病室には、看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看護婦もいました。

 自分の左肺に故障があることが、その病院で発見されました。これはたいへん自分に好都合なこととなりました。

 やがて、自殺幇助罪の疑いで病院から警察に連れて行かれました。しかし警察では、自分を病人扱いにしてくれました。特に保護室に収容されたのです。

 深夜、保護室の隣の宿直室で寝ずの番をしていた年寄りの巡査が、間のドアをそっと開けて、

「おい!」

 と声をかけました。

「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ」

 自分はわざとしおしおと宿直室に入り、椅子に腰かけて火鉢にあたりました。

「やはり、死んだ女が恋しいだろう」

「はい」

 細く消え入りそうな声で答えました。

「そこが、やはり人情というものだ」

 彼は次第に構えを大きくしてきました。

「はじめ、女と関係を結んだのは、どこだ」

 ほとんど裁判官のように、もったいぶって尋ねるのでした。

 彼は、自分を子供と軽んじていました。
 秋の夜のつれづれに、あたかも自分が取調べの主任であるかのように振る舞い、猥談めいた話を引き出そうとしている様子でした。

 自分はすぐにそれを察しました。
 噴き出したいのを必死でこらえました。

 そんなお巡りの「非公式な訊問」には、答えを拒否してもよいと自分は知っていました。
 けれども、秋の夜の静けさに興を添えるため、自分はあくまでも神妙な顔つきで応じました。

 そのお巡りが取調べの主任であり、刑罰の軽重の決定も彼の思し召しひとつにあると、固く信じて疑わぬ誠意を見せたのです。

 そうして、彼の助平な好奇心を少しだけ満足させる程度の、いい加減な「陳述」をしました。

「うん、それでだいたい分かった。
何でも正直に答えれば、こちらも手心を加える」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 ほとんど入神の演技でした。
 そうして、自分のためには何ひとつ、得にならない力演でもありました。

 夜が明けて、自分は署長に呼び出されました。
 今度は、本式の取調べでした。


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