影が増える(日常の小さな異変)

 翌朝、管理会社に電話をかけた。姿見の件、と切り出すと、担当は「ああ、前の入居者さんの残置物ですね。処分費が少し——」と事務的に言った。金額を聞いて、ため息を飲み込む。家賃が安いぶん、こういう出費は覚悟していた。週末に回 … 続きを読む

引っ越し先の鏡(事故物件の噂)

 鍵を受け取ったのは梅雨明けの午後だった。駅から歩いて七分、築三十年のワンルーム。不動産屋は「相場よりだいぶお得ですよ」と言った。言葉どおり、家賃は周辺より二割は安い。角部屋で、窓は東向き。朝は明るいはずだ、と自分に言い … 続きを読む

錆びることがない人

 YouTubeで流れてきたのは,「SNSで大反響!天才新人大学生の才能発掘!」というタイトルの動画だった。そのサムネイルには,左耳にシルバーのフープピアスをつけたまゆが,涼しげな笑みを浮かべて映っていた。  反射的に画 … 続きを読む

名残惜しすぎる別れ

 彼にとって最大の挑戦だったはずの全国高校総合文化祭での結果は,優秀賞という形で一旦幕を閉じた。  彼の描いた作品は自画像だった。しかし,純白のキャンバスを埋め尽くすほどの赤,黄,青,紫,そして黒が万遍に塗られたその絵は … 続きを読む

対抗

「彼」の描く絵は、鮮やかだが透き通っており、力強さというよりは爽やかな印象を与えるものだった。 対して私の描く絵は、陰鬱さを全面に出し、抱え込んだ内情を暗いコントラストで表現していて、彼の絵とは対極に位置するものであった … 続きを読む

小さな声、大きな波

メネラオスは書斎の椅子に腰を下ろし、今日も古い羊皮紙の束を整理していた。王国の記録をまとめる仕事は、地味だが重要だった。だれも気にしない小さな出来事も、文字として残すことで、未来の決断に生きることがある。 窓の外では、遠 … 続きを読む

こわれた橋と沈黙の人々

リュシアは市場の角で、小麦の袋を並べながら腕を拭いた。朝日が差し込む広場は、今日もにぎやかだ。子どもたちの笑い声、大人たちの呼び声、そして遠くから聞こえるパン屋の鐘。それでも、リュシアの心には少しの重みがあった。 「小麦 … 続きを読む